【重慶の陶器の村】商船行き交う貿易港が完全にRPGの世界

2024年12月3日磁器口

アクセス

磁器口は重慶の沙坪坝区に位置し、嘉陵江に面します。

市の中心部からは”小什字”駅から地下鉄に乗り、”磁器口”駅で下車して徒歩で約4分です。

”较场口”駅からは約37分です。

観光バスのT002も停車します。

歴史

磁器口は宋の時代(998年~1003年)に形成された集落群です。

重慶中心部からはおよそ20キロ離れています。

磁器口の場所にはもともと白い岩があったことから、”白岩场”と呼ばれました。
”场”は場所の意味です。

また白岩场には宝轮寺というお寺があり、又の名を”白岩镇”と言いました。

時代は進み明の時代、元(モンゴル帝国)の分裂から興った明は混乱の最中にありました。

初代の明の皇帝であった洪武帝は内政の統治に奔走しました。

そんな動乱の中、1377年に洪武帝の長子の次男として産まれたのが朱允炆、のちの建文帝でした。

洪武帝の後の皇帝候補であった朱允炆は幼いころから暗殺の危険に身をさらされていました

そこで朱允炆は当時都のあった南京から、西部の山奥に身を隠すことにしました。

そこで朱允炆が選んだのが巴渝国(現在の重慶)の宝轮寺でした。

宝轮寺は見晴らしの良い山の中に建ち、眼前には嘉陵江が流れるため、いざという時には陸路と水路から脱出できることも好都合だったと思われます。

彼は周りの世話係の者以外には身分を隠し、時が来るまでひっそりと内乱が収まるまでの 4~5年間を宝轮寺で過ごしました

洪武帝の死後、朱允炆は即位し建文帝となりました。

そして後に建文帝が宝轮寺で隠遁生活を送っていたことが知れてからは、住民はたいそう驚きました。

この伝説から以降宝轮寺のことを皇帝を表す”龙”(龍)の字を使い、”龙隐寺”と呼ぶようになりました。

磁器口の発展

その後白岩场では嘉陵江の水運を利用した交易が盛んとなりました。

最盛期には毎日10トンの積載量を持つ船が300隻も来航したと云います。

また特に陶磁器の生産・流通が盛んであったため磁器口の名前が付きました。

磁器口は巴渝国の時代から息づく住民の生活文化を今日に伝え、伝統的な街並みや水運によって発展してきた背景から”小さな重慶”と呼ばれ人気の観光地となっています。

宝轮寺とセットで歩いて見て回って約3時間ほどです。

宝轮寺の開放時間は7:00-18:30で、磁器口は終日無料で入場可能です。

磁器口は入口から入って石畳の通路を順に歩いていくと、両手に多くのお土産店や出店が広がります。

磁器口のグルメは重慶名物の毛血旺(牛のセンマイ)が有名です。

伝統的な建築様式の家屋と石畳の風景は非常に風情があります。

小さな路地を進んでいくのもワクワクします。

通路を進んでいくと最後には埠頭に顔を出します。

埠頭では交易で栄えた当時の記録を眺めることができ、水辺は涼しい風が吹きます。

現在でも川を渡る船や漁師船を見ることができます。

天気の良い日にはぜひ磁器口を訪れて、心地よい散策を楽しんでください!

基本情報

基本情報

営業日:月~日
営業時間:24時間(宝轮寺:7:00-18:30。出店は21:00頃から閉まり始めます)
入場料:無料
観光時間目安:3時間

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Posted by Shiba Shiba